「IT業界で人生激変!-1」の続きです。
私は、最初の就職で、国内資本の大手化学企業のグループ採用で、当時その化学企業グループで勢いのあった「建材事業部門」に配属され、いわゆる「代理店営業(パートナーセールス)」として7年半を過ごしました。
その後、外資系大手ITベンダーが出した、新聞の下段半分を使った「中途入社社員募集の求人広告」をきっかけに、
その外資系大手ITベンダーに、「30歳・第一子あり・第二子妊娠中」という状況で初めての転職をしました。
13年強勤務した、転職先の外資系大手ITベンダーでは、NTTグループの中で、のちにNTTコミュニケーションズの一部になる部門を担当する営業職(Sales Representative)になりました。ここでは、意外なことに、前職の化学企業の「建材部門」での経験が大いに役立ちます。それは、ITベンダーにおける「システム開発」ビジネスが、土建業界の「土木工事・建築工事」と酷似した「業態」だったからです。
一般の方には、なじみが無いでしょうが、IT業界も土建業界も、「多重下請け構造(元請=親→一次下請け=子→二次下請け=孫・・・)」「納期=工期・コスト・品質を管理する、プロジェクト・マネージャー=現場監督」「工程管理に不可欠のガントチャート」など、共通するものが多くありました。更に、担当部門は、お客様の中でネットワーク設備を構築・保守する「線路土木部門(線路=ネットワークで、ケーブルやトンネル・マンホールなどの物理的な設備を指します。)」で、これは「ほぼ土建業界」という印象でした。
その後、後のNTTコミュニケーションズとなる部門を離れて、後のNTTコムウェアの一部となる「通信ソフトウェア本部」を担当します。こちらは、物理的なネットワーク設備の上に構築される、「通信サービス」を実現・制御するためのソフトウェアを開発・保守する組織でした。
「通信サービス」の世界は、物理的なネットワーク設備(=ハードウェア)を前提に、各所に組み込まれたコンピュータープログラム(ソフトウェア)が、電話やインターネットのインフラになる「サービス」を提供するもので、当時幕張のビルには5,000人のソフトウェア開発者がいる、と言われていました。
この通信ソフトウェア本部で、私は社内で「NB=New Business=新規開拓」と言われていた役目を担います。これは、「まだ自社のシステムが全く売れていない(殆ど売れていない)新規顧客の開拓」ということで、実際に導入済みのシステムは、累計金額でみると、その後に受注することができたシステムの50分の1程度の規模で、一つだけでした。この部門では、巨額のビジネスを2件受注できましたが、来る日も来る日も先が見えない暗中模索、社内では針の筵の日々を、1年近く過ごしました。
1件目の受注につながるきっかけは、何も打つ手がなく、前職の土建業界のような「お客様の席に、名刺を置いて帰る」ことをひたすら繰り返していた時でした。
それは、ある日私が、半分以上自暴自棄になり、「評価されるきっかけ」にならないかという思いで、キーと思われる部門の、不在だったA部長の席に、「50枚の名刺を、文字通り束で置いて、帰り始めた時」に、起きました。私は、名刺の束を見た、その部門の総務課長に呼び止められ、「A部長が不愉快になるから、こんなことはしないでくれ」と諭されました。
そこで、名刺を回収しつつ、A部長の行き先を尋ねると、「アムステルダムに出張している」と言われたので、さらに宿泊先のホテルを尋ね、宿泊先を教えてもらいました。私は、そのまま会社に戻り、A部長と面識のある上長と相談の上、A部長が宿泊するホテルに、「旅の安全を祈る上長からのメッセージ」をFAXで送り、ホテルに電話をかけて、A部長の部屋にそのメッセージを届けるようにフロントに依頼しました。更に、その部屋に「フルーツの盛り合わせ」が届くように、JTB経由で手配をしました。
その後、そのお客様の部長が帰国し、会いたい旨の連絡があり、上長は、その部長の話し相手として重宝されるようになりました。何度かA部長と面談を重ねたある日、A部長から、新規案件の検討をしているB部長を紹介され、このB部長との面談が、1件目の巨額案件の受注に到る、突破口になりました。
B部長は、当時、「ワークステーション」と呼ばれていた高性能の機器を、競合他社から5,000台以上購入していましたが、私が所属する大手ITベンダーからは、1台も買っていませんでした。
そこで私は、技術的に高い知見を持ち、大規模な展示会等で何度も講演をしていたB部長に、「競合他社の製品5,000台を使って構築した、通信ソフトウェア開発のシステムインフラ」について、「設計思想や運用ノウハウなど、豊富な知見を、私が所属する大手ITベンダーのエンジニア向けに講演してください」と依頼をしました。
すると、B部長は快諾し、私は全社への周知を何度も行い、その講演会に200名以上の参加者を集め、意図的に狭い会場を設営して、「満員御礼・立ち見多数あり」の状況を作り出しました。それは、講演を依頼したにもかかわらず、「空席が目立つようでは、却って不興を買い、逆効果」だと考えたからでした。
これは、実は社内では、「Technical Entertainment=技術的な知見の豊富なお客様向けの"接待"」と呼ばれているものでした。
これは、お客様社内で技術的なリーダーシップを執る、信頼を獲得したいお客様に対して、「特別感」を演出するもので、通常は、「まだ市場に出ていないハードウェア・ソフトウェアなどの、自社製品のお披露目」や、「ノーベル賞受賞者を輩出した、海外の研究拠点への視察ツアー」などです。全社に呼び掛けて大規模に参加者を集め、お客様に大手ITベンダー社内での講演を依頼するというのは、例がありませんでした。
結果的に、B部長からは、新規システム構築案件の実施責任者であったC部長を紹介され、C部長・B部長・A部長の合意の下で、1件目の巨額案件の受注に成功します。
その後、私は国内巨大企業H社が十年以上にわたって手がけてきた「ネットワーク設備管理システム」の更改案件の営業活動に邁進することになりました。このシステムは、以前の「線路土木部門」に導入されていたシステムの"親"にあたるシステムで、このシステムから得たデータを「加工・表示」するのが、「線路土木部門」の主管するシステムで、「線路土木部門」のシステムは"親"からみると"子・サブセット"にあたるものでした。この"親"にあたる、更改対象システムの金額規模は、"子"の10倍以上でした。
約1年半にわたる営業活動の結果、営業チームのSE部長がリサーチしていた、「カナダで開発された"設備管理パッケージソフト"」を日本語化して導入し、一から手作りするこれまでの「H社の開発・運用手法をやめてパッケージソフトに転換しましょう」という「戦略的な提案」がお客様に受け入れられました。その結果、その後数百億円に達する売上を会社にもたらした、ネットワーク設備の管理システムを受注することに成功しました。この案件に関しても、主幹元のD部長にさまざまな影響を与えていた、前出のA部長の支援がありました。
その後、私は、当時の見積金額が1,000億円を超えるシステム更改プロジェクトの、国際調達(国際公開入札)がNTTグループで行われた際に、この案件を担当し、最終的に競合他社との競争に敗れます。その年、当時上長であった人が、この大手ITベンダーを退職したことを契機に、その上長と同じNTTコミュニケーションズに、転職しました。
私はその後、大手ITベンダー・IT業界・直販営業(ダイレクトセールス)に関する知識とスキルを徹底的に活用し、大手ITベンダー時代の上長が転職する際に、同じ外資系コンサルティング企業に転職しました。